7さいのぼくとかれ

ぼく(7さい)

 
殺される。
 
これは決して言葉のあやではなく、たとえば羽交い絞めにしてその場からぼくを引きはがそうとする力の強さも、ぼくに向けられたまるで別の生き物でも見ているような冷たい視線も、そのすべてがぼくに対する殺意の表れに思えてしかたがなかった。とにかく恐ろしかった。全力で、とにかく全力でその場から逃げようとしたけれど、苦しくて、すごく苦しくてとにかく大声でないたけれど、もがけばもがくほど、なけばなくほど彼の手にはつよく力がこめられていくのを感じた。
 
暑さと暴的な抑圧がじょじょにぼくの体力をうばっていく。そして意識が朦朧としてきたぼくは、彼に見つかってしまったわずか数分前のことを思い出していた。
 
 
今日は朝からうだるように暑かった。
 
数年ぶりに外の世界に出たぼくは「じぶんがあと数日の命であるというつらい現実」と「突き刺さるような強い日差し」から逃れるようにおおきな木にすがってないていた。のどの許すかぎりぼくは声を張り上げてないた。なきたいと思ったわけではなかったけれど内側からわきあがる衝動を抑えることができず、そのすなおに従っていた。そしてなくことに没頭しているあいだは、いろんなことを忘れられられるような気がして必死になってなきごえをあげていた。
 
 
なきはじめて何時間くらい経っただろうか。
不意にじぶんの背後に異様な気配があることをかんじたぼくは逃げ出そうとした。だがそのだれかによっておさえつけられ、そしてからだの自由がうばわれた。
 
 
苦しい、苦しい。もうやめてほしい。
 
なきながらそれを訴えれば訴えるほど彼の手には力がこめられていくのを感じた。
 
逃げることもできない、ないて許しを乞うこともできない。
これでは生きながら死んでいるのとなにも変わらないではないか。そう思ったら急にないてわめいていることがバカらしくなってしまい、気づいたらぼくはもうなくことをやめていた。どうせあと数日の命なんだ、ここで死ぬのも生きながらえるのも大差ないではないか。もはや生きることに執着することすらめんどくさいと思えた。
 
なきやんだぼくが諦念にみちた表情をしているのをみた彼は、「最初からおとなしくしてりゃいいんだよ」とぶつくさいいながらおおきなカゴに手をかけた。どうやらあれにぼくを閉じ込めるつもりらしい。すべての気力がまるで気化したように雲散したぼくは、これから自分が放り込まれるであろうその狭苦しいカゴをぼんやりと眺めていた。そのカゴからは独特の死臭ともいうべき匂いがたちこめていて生き延びることをあきらめきったぼくでも思わず顔をしかめたくなった。
この中で自分は一生を終えるのかと思うとまたふつふつとなきたい衝動にかられそうになったが、ふいに彼がカゴの準備に気を取られてぼくから視線をそらしていることに気づいた。ぼくを抑え込む力もずいぶんとゆるんでいる。
 
 
いまなら逃げられる。
 
 
そう思った瞬間にぼくは覚悟を決めた。
逃げよう。あと数日の短い命ではあるけれど、最期の場所は自分で選びたい。あんなカゴの中で最期を迎えるのはごめんだ。
 
 
決心してから行動を起こすまで1秒もかからなかった。
 
 
彼の目が自分に注がれていないことを確認したその瞬間、ぼくは全力で彼の手をすり抜けて逃げ出そうと試みた。
 
「あっ」
 
不意を突かれた彼はおどろいて短い声をあげた。その声に「逃げ切れる」という確信をぼくは抱いた。ありったけの力をふりしぼって彼の手を振り払い飛び出す。
 
まぶしい太陽に向かって一生懸命ぼくは羽ばたこうと全身に力をこめる。その瞬間、ぼくの短い一生は彼の手のなかでグシャリと握りつぶされた。
 
 

かれ(7さい)

 
その日はとにかく機嫌が悪かった。
 
せっかく早起きをして公園を渡り歩いていたのに僕は一匹もセミを捕まえることができなかった。セミがいないわけではなかった。ただ、どれも7歳のショウタが捕まえるには高すぎる場所にいたためにどうすることもできなかった。一度、くやしまぎれにセミに石を投げてやろうとしたけれど、近くにいたおじさんに危ないからやめなさいとさとされて何もできなかった。
 
気づけば太陽はずいぶんと高いところへと昇り、ショウタの額には大粒の汗がにじんでいた。朝からずっと走り回っていたショウタはそろそろ帰りたくなっていたけれど、なにも捕まえられないまま帰る気にはならなくてセミの抜け殻がたくさんある大きな公園へと向かっていた。
 
あそこならセミがまだいるかも知れない。
 
公園への近道である砂利の敷かれた駐車場を足早に抜けようとしたとき、ふいに端にある低い木にセミが止まって鳴いているのが見えた。ショウタのもっている網でも十分届きそうな高さで鳴いていた。
 
 
反射的に駆け寄り、さっと手を伸ばすとセミはあっさりとショウタの手の中におさまった。
 
 
セミは必死に逃げようともがきだした。ぜったいに逃がさない、グッと手に力を込めてぼくはセミを大人しくさせようとした。セミは逃げようともがきながら、ジージーと鳴き声を上げ始めた。離れていてもうるさくて耳障りなセミの鳴き声が目の前で放たれると、それは耳を覆いたくなるほどうるさく感じられた。
 
 
その鳴き声はぼくのイライラをどんどんと膨らませていき、セミを捕まえられたよろこびはいつしかセミへの怒りへと変わっていった。
 
 
うるさい、うるさい、うるさい。
 
 
ハッと気づくとセミの鳴き声は消えていた。
 
死んでしまったのかとおそるおそる手の中に目をやるとセミは鳴く力が尽きたようにおとなしくしていた。
 
安心したぼくは「最初からおとなしくしてりゃいいんだよ」と文句を言いながら、肩からかけていた虫かごを取り出した。ずっと空っぽだった虫かごだけれどこれでやっとセミを入れられると思うとうれしくてつい顔がほころんだが、虫かごの窓があかないことに気づいてまた顔を曇らせる。ひさしくあけていなかったためか、虫かごの窓はピクリとも動かなかった。
 
 
やっと虫かごの窓がゆるみ始めたその瞬間、それまで大人しくしていたセミが急に動き出した。
 
虫かごばかりに目がいっていたぼくはおどろき、思わず「あっ」という声が口から洩れた。セミはぼくの手から逃れ、いままさに飛び立とうと太陽の方向を向いて羽を動かそうとしているのが見て取れた。
 
 
逃げられてしまう。
 
 
全身がこわばり、思わず目をつぶった。せっかくつかまえたセミがぼくを置いて飛び去るそのときを見てしまうのがこわかった。
 
けれどいつまでたってもセミの飛び立つ音は聞こえてこなかった。ずっとずっと遠くからはセミたちの鳴き声が聞こえてきたけれど、手元にいるはずのセミはとたんに鳴き声ひとつあげず、身動きひとつとらなくなった。
 
 
固くつぶった目をおそるおそるあけるとセミをとらえていたぼくの手と手でつくった檻がかたく閉じられているのが見えた。
 
そこでやっと自分の手がギュッとにぎりしめられていることと、その中に乾いた固形物の感触があることに気付いた。肩の力を抜いて、おそるおそる手をほどいていくとみじめなほど小さくつぶされていてもう鳴くことも飛んで逃げることもなさそうなセミの姿が見えた。
 
かなしくてぼくは泣いた。